人それぞれ、家庭環境によっても、幼い頃に親に買い与えられたオモチャは様々でしょう。そして、物心ついてから自分で欲しがったオモチャの類。
あなたは、どんな思い出を持っていますか?
私は昭和40年代生まれです。世代で言えば、東宝チャンピオンまつり、仮面ライダーのスタート、第二次怪獣ブーム辺りに幼稚園から小学校へと上がるような時期でした。
『昭和』というより『70年代』と言ったほうがいいかもしれませんね。 それでは、昭和の70年代のガキのSFオモチャを思い出を語っていきましょう。
ブルマークの怪獣たち
ダンボール箱のソフトビニール人形達
世は、第二次怪獣ブームの始まりでした。当時、ソフビの人形は子供のためのものでした。
子供ながらに目に焼き付いているのは、怪獣の足の裏に文字がある事。『ブルマーク』。著作権の©︎マークが初めて自分の潜在意識に組み込まれたのは怪獣のソフトビニール人形だったのではないでしょうか。
4、5歳の時、家で隣の幼馴染みと一緒にソフトビニール人形で遊んでいた時、その幼なじみのH君が、私のウルトラセブンの片足をもぎ取りました。
泣き虫の私は「うわ〜ん」と泣き、H君はそのまま出て行きました。
昭和の幼稚園児の一場面ですw
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サイボーグ1号
「サイボ〜グ〜いちご〜♩」と歌うテレビコマーシャルがあったはずです。
透明のプラスチックの中にメカ風の基盤(の様なもの)が入っている人形です。中のメカには、「ゴールド」「シルバー」「ブルー」があったと記憶しています。頭も透明で中にメカが見えます。
これも、好きだったなぁ〜
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確か、敵役の「バイオレット」ていうのがあったはずです。こちらのほうが悪くてカッコよかったんだよな。
関節のインジェクションが抜けなくなる
このサイボーグ1号。頭や手足がインジェクションになっていて、引っ張ると抜ける様になっているのですが、たまに、間違って差し込んだ手足が抜けなくなるのです。
その時に登場するのが、食器用洗剤の『ママレモン』です。サイボーグ1号の関節をお湯につけて温め、樹脂の膨張を期待しながら、ママレモンをつけて滑りを良くし、キュッと関節を抜き取るのです。
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サイボーグ1号は着せ替えがあった
サイボーグ1号には、別売りで着せ替えセットがありました。特撮ヒーローに変身させられるのです。
着せ替えして楽しいかというとそうでもないのですが…。仮面ライダーや変身忍者嵐とかありました。
しかし、サイボーグ1号の最大の変身キットは、サイボーグ1号本体がオートバイになる別売りセットでした。これを買ってもらった時は嬉しかったなぁ〜。
相棒のサイボーグジャガーのほうがカッコよかった
サイボーグ1号の相棒なのかペットなのか知りませんが、『サイボーグジャガー』というのがありました。文字どおり、ロボットジャガーです。
こちらにも別売りの着せ替えコスチュームがあって、「虎」とか「ヒョウ」などがありました。私のお気に入りは『雪ヒョウ』でした。
現在の子供達にサイボーグ1号やサイボーグジャガーを見せたらどんな反応するだろう。ガキっぽいと思うだろうか?
ミクロマン
覚えていますか?『ミクロマン』
10センチ位の小人です。頭だけがシルバーメッキで、体は、アンドロイドというかロボットです。
種類がいくつもあって、体がダイカスト製の『スーパーミクロマン』という重めのミクロマンもありました。
ミクロマンには一人ひとり名前が付いていました。洋風の名前です。私が持っていたのは「ロビン」だったはず。
ミクロマンには、基地や乗り物もあって、メーカーさんは基地を売って儲けを上乗せしようという魂胆だったのでしょうね。
※楽天でミクロマンが現在販売されているのか調べてみましたが、私の知っている、頭だけ銀メッキでタイムカプセルのようなケースに入っている元祖ミクロマンは見当たらず全く別物のミクロマン(スーパーマンなどのゴム人形)が出てきて「アレッ?」となりました。
昔のミクロマンはもう存在しないんですね。
ミクロマンの敵『アクロイヤー』
ミクロマンには、敵役の『アクロイヤー』がいました。正直、この、アクロイヤーのほうが魅力的でした。デザインが斬新でした。
人形遊びは小2まで
サイボーグ1号やミクロマンのような人形で遊んだ記憶はだいたい小学校2年生までだったと思います。
昭和の少年達は、だいたい小3で野球に興味を持つというのがパターンだと勝手に定義づける私。
しかし、長島ジャイアンツの1年目は最下位。
カープの赤ヘルが流行ったあの夏。
少年はバッティングが上手くなりたくて、任天堂ウルトラマシンをせがむのでした。
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70年代のオモチャの思い出でした。
あなたの思い出とシンクロした所はあったでしょうか?
小学2年から小学3年、この頃ちょうど『ゴジラ対メカゴジラ』が封切らられました。
東宝チャンピオン祭りで観たのですが、『メカゴジラの逆襲』に至っては制作、公開されていたことすら気づかずに、後になって駄菓子屋のカードで映画の存在を知るというありさまでした。
徐々に特撮より、スポーツが好きになりかけていた時期です。